セネガルの宗教からわかる日本人への優しい対応

こんにちは、こうきです。

「宗教ってなんか怖い…イスラム教徒ってヤバイやつでしょ…?」

「アフリカってイスラム教とか盛んなんでしょ?不安なんだけど…」

そんな風にあなたは思ったりしていませんか?

 

確かに最近のテレビやニュースではイスラム教徒が
暴動を起こしたりテロを起こしたりと不安になるかもしれませんが
これらはイスラム教徒の一部の人間を切り取ったにすぎません。

実際のところは宗教がこれだから暴動が起きる。

テロが起きるなんてことはないんですよね。

というのも当たり前ですけど、
包丁を使ったら人を殺すことはできますけど
一流のシェフが使えば人を喜ばす道具になるわけです。

要するに使う人によって
そんなものはいくらでも変化するよってことな訳ですよ。

実際にセネガルは自分たちの国をおもてなしの国。

という風に表現するほど平和を心から望む文化が根付いた優しい国です。

その根本を支えてるのがこの後にも紹介しますが
セネガルで主に信仰されているイスラム教。

今日はそんなイスラム教とセネガルという国の関係性。

そしてそれによる平和な文化が根付いてる理由について
少しでも知って頂けたらなということで書いていきます。

それでは始めていきましょう!


セネガルの宗教分布

というわけで早速始めていきますが
セネガルで主要とされてる宗教は最初にも書いたようにイスラム教です。

イスラム教はセネガル全体の95%を占めており、
残りの4%がキリスト教、残りの1%が伝統宗教となってます。

この数字を見てわかるようにイスラム教が主となっており
非常に多大な影響力を持っているというのがわかります。

簡単にイスラム教が流行った背景について説明すると
11世紀ごろにイスラム教がセネガンビアという地域の貴族たちに伝えられ、

1780年代に英語版のイスラム教の経典が庶民の手に渡って
イスラム教がセネガル全土に広がっていきました。

という背景があるんですが
まぁぶっちゃけようわからんって感じですよね(苦笑)

こういうところでも宗教って言葉で身構えてしまう人もいると思うので
次の項目ではもっとわかりやすい身近な観点から
イスラム教という宗教を紐解いていきたいと思います。


セネガルの主要宗教イスラムが根付いた生活文化

というわけでとりあえずセネガルでは
イスラム教が最も多いんだなというのは理解できたと思います。

では、セネガルではイスラム教がどのように
セネガルの生活文化に関与してるのかというところを説明しながら
いかにイスラム教というのが根強く浸透してるのかを書いていきます。

さて、まずみなさんがアフリカという言葉を聞いて
イメージするものはなんでしょうか?

暑い、民族、動物など色々とあると思いますが
その中に貧しい、というワードが入っていませんか?

私たちは募金によってアフリカの子供たちにご飯をあげよう!
アフリカの子供達に服を届けよう!!

みたいな募集を見てる関係からなのか
アフリカは貧しいという認識を持ってる人が多くいます。

もちろん、日本という国から見たときに
生活水準でいうとアフリカの水準は確かに高くないです。

ですがだからと言って本当に貧しいのでしょうか?

実際に私はセネガルに滞在して現地の人と交流しましたが
誰もが日本人よりも生き生きと人生を楽しんでるように
私には思えて仕方がありませんでした。

そのときには私は私たちが考える貧しいという物差しは
セネガルで住んでる人たちを図るにはふさわしくないのではないか?
という風に感じたわけです。

そしてじゃあなんで彼らは私たち日本人から見たら
生活のレベルは高くないのにそんなに幸せそうに見えるのか
そう考えたときに出てきた答えがイスラム教だったんです。

 


セネガルにおいてイスラム教は本当に深く浸透しています。

それは食事、教育、性格、そういったところから紐解けます。

まずは食事の観点からイスラム教とセネガルの関係を説明していきましょうか。


食事に関してですがアフリカの子供達はご飯が食べられてない。
アフリカの子供たちの多くは餓死をしている。

そんな風に私たちは広告などのせいで思いがちです。

もちろんこれらは嘘ではありません。
ですがあくまでアフリカの一部を切り取ったものでしかありません。

例えばセネガルではご飯が余るほど家庭ではでます。
それこそ日本と同じように捨てるほどご飯が余ってしまうんです。

じゃあそのご飯をどうするのか?というと
そういった家に「ご飯をわけてくれ」と回ってくる人たちに分けます。

いわゆる乞食というやつですが
セネガルの人たちはそういった人たちに
喜んで余ったご飯を与えます。

というのもイスラム教では与えることは神に祈りを捧げるの同じ。
という風に言われているからですね。

だからこそセネガルは余ったご飯が
足りない人のところにいくシステムが出来上がってるわけです。

次に教育に関してですが
これに関しても私たちはアフリカは教育が遅れてる。

そんなイメージを持ちがちです。

確かに教育のレベルが日本みたいな先進国のように
高いわけではありませんが、

セネガルにはコーラン学校というイスラム教を学ぶ学校が多くあります。

普通の学校に金銭的な理由などでいけない子供たちの多くは
そのコーランでイスラム教を勉強します。

コーランで勉強はイスラム教の教えを
アラビア語で書き写して暗唱するというものです。

つまり、セネガルにおいて勉強とは私たちが思い描く
算数、国語、理科、社会、英語、みたいなものではなく
イスラム教を学ぶことが勉強になっているわけです。

もちろん、英語やフランス語の読み書きができない
というような問題点もありますが、

もともと学校とは社会に出た時にどう生きていくのか?
そういった知識や基礎的な道徳を学ぶ場所です。

そういった意味ではコーランはイスラム教を通して
子供たちに道徳の意義や生き方について多くを伝えてます。

そういった観点で見ると決して教育が遅れてるわけではないんです。

実際にコーランにいる青年の中で独学でフランス語と英語を勉強して
今では自分でコーランを経営するまでに至ったものなど多くいます。

大事なのはどう生きていくのかと基本的な道徳について学ぶこと。

そういった点に関してイスラム教は非常に多大な影響力を与えてるわけです。


最後に正確に関してですが
食事に関するエピソードから見てもわかるように
セネガルの人たちはとても温厚で心が広いです。

それはイスラム教の教えが深く浸透してるからであり、
イスラム教では人に与えること、助けることも祈りなのである。

という風に説かれてるからな訳です。

祈りというのはセネガル人にとってとても大事なものです。

日本人の私達からするとピンとこないかもしれませんが
セネガル人からしたら食事と同様に重要なものであり
向こうの空港ではトイレの近くに礼拝室が必ずあるほどです。

そしてセネガルでは金曜日になるとモスクに多くの人が集まります
モスクに関してはまぁ広場みたいなものをイメージしてください。

そして金曜日になるとスピーカーから祈りの声だけが響いて
全員が静かに祈りを捧げるんです。

それほど祈りというのはセネガル人にとっては大事であり
その祈りの一部として人助けや人を許すことが入ってるからこそ
セネガル人は喜んで人助けをするし、温厚で心が広いわけです。

また、その性格の優しさは挨拶からも見て取れます。

セネガルでの挨拶はジャムという言葉を使いますが
これは平和を表す言葉です。

ジャムという言葉を使った挨拶を日本語で書くと

「平和かい?」「ああ!平和だよ!」

みたいな感じになるわけです。

こうした平和という文化を非常にセネガル人は大事にしており
こうした優しい性格もイスラム教によるものなわけです。

イスラムに関しての基本情報

さて、セネガルでイスラム教が深く根付いてる
ということがわかってきたところで
次は簡単にイスラム教について説明していこうと思います。

今回はイスラム教についての記事ではないので
あくまでセネガルの文化を理解するための補助して
簡単に説明していきます。

まず、よく混合されるというか
間違われるキリスト教との違いを書いていきますが、

キリスト教では教祖のキリストを神の子としますが
イスラム教の教祖のムハンマドはただの人間です。

ここがまず初めの大きな違いですね。

聖典はムハンマドが神からの啓示をまとめた
コーランと呼ばれてるものを使います。

ムハンマドはアッラーの他に神はいないと断言してるため
一神教であり偶像崇拝は禁止されています。(銅像を崇めること)

また、ムハンマドはアッラーの元では皆が平等である。

という風に説いており、この平等主義が
セネガル人の優しい性格などを形成する一部となっております。


宗教を認め合う平和な文化

セネガルでは基本的にイスラム教が信仰されていますが
他の宗教として伝統宗教とキリスト教の信徒も存在します。

ですが彼らは特に敵対するなどの素ぶりはなく
どちらの宗教も認め合ってそれぞれの宗教を信仰すればいいよね。

というスタンスです。

イスラムの教えからしたら神は1人なので
他の宗教は神は認めん!!となりそうなものですが
イスラムの教えが浸透して性格も優しく温厚なセネガル人だからこそ
そういった柔軟な考え方ができたのかもしれませんね。

まぁ実際に滞在した私としましては
彼らは本当に心が広いというか大雑把なところもあるので
まぁ別に他の宗教あってもいいんじゃね?

くらいのスタンスで捉えてるんじゃないかと勘ぐってます(笑)

そんな感じで他の宗教を認め合ってるので
宗教が違うことでの争いなどは全くないですし、

なんならそれぞれの宗教の歌を一緒に歌うコンサートを開催するほど。

セネガルの優しい国柄が現れてますね。


 

宗教はとっつきづらいのか?

宗教と聞くと非常に多くの人が身構えたり
なんか頭のやばい人がやってるやつでしょ?と捉えたり
ネズミ講のような悪質なものを宗教だー!と卑下したりしてますが、

宗教というのは別に悪いものでもいいものでなく
単なる人生をよくする道具なのだと考えれば
変な勘違いもとっつきづらさもなくなるのではと思います。

何を信じるかは人それぞれなわけですし、
信じるものがない、どう生きればいいのかわからない。

そういった人にとっては生き方のお手本を教えてくれる
宗教や聖典というのは非常に価値のあるものなわけです。

私たち日本人は神道と仏教が混ざった混合宗教の中で生きています。

キリスト教が混ざったりもしてるので一つの宗教を信仰する
という意識が低くなっていて、宗教というものを身近に捉えられていません。

ですが宗教は決してとっつきにくいものではなく
単に人生をよくするツールだよと思っていただければ
前よりはとっつきやすくなると思いますし、

今回のようにその国の生活の文化。

食事や、音楽、性格や、歴史、

こういった観点からその国を見ると
宗教に対する理解もわかりやすくなるのではと思います。

宗教があるから怖いなどと身構えずに
あるがままを受け入れて楽しむくらいの気持ちでいきましょう!


まとめ

というわけでいかがでしたでしょうか?

今回はセネガルの宗教から見る日本人への対応ということで
まぁ日本人への対応ってよりはセネガルはイスラムという宗教が根付いており、

その宗教の教えから非常に温厚で優しい性格だよ。
だから日本人にも優しいよって結論です。

私も実際にセネガルに滞在してましたが
荷物やお金を落としても心優しく教えてくれたし、

話しかけると気さくに返してくれます。

今回の記事を見て少しでもセネガルに興味を持ってもらえたり
セネガルに行くハードルが下がったのであれば嬉しいです。